TOKYOブラジル散歩

第9回東京フィルメックスで来日した、ジョアキン・ペドロ・ヂ・アンドラーヂ監督の娘さんマリア・ヂ・アンドラーヂさんにお話を伺いました。

11月22日(土)から30日(日)と12月6日(土)に開催された
第9回東京フィルメックス。
今年は特別上映として
ジョアンキン・ペドロ・ヂ・アンドラーヂ(ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ)監督特集が開催されました。


ジョアンキン・ペドロ・ヂ・アンドラーヂ監督は
グラウベル・ホーシャ(ホッシャ/ローシャ)監督や
ネウソン(ネルソン)・ペレイラ・ドス・サントス監督とならぶ
シネマ・ノーヴォの代表的な映画監督の一人です。

 
 

ブラジルでは
文化省が国内映画発展のための
さまざまな事業を行っていますが
国産映画の修復計画も
90年代末ころから始まりました。


この国産映画修復計画で
まず最初に手をつけらることになったのが
ジョアキン・ペドロ・ヂ・アンドラーヂの映画でした。


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そして2003年10月より
世界中に散逸していたポジやネガが
ブラジル映画ライブラリーとサンパウロ市シネマ・ライヴラリーに集められ
ジョアキン・ペドロ監督が
1951年~1981年の間に残した
長編6本、短編8本の計14本の作品の
デジタル修復作業が開始されました。


 

 

 

 

今回、特殊上映では
「マクナイーマ」
「ガヒンシャ(ガリンシャ)」
「夫婦間戦争」
の3本の長編作品と
「キャットスキン」
「シネマ・ノーヴォ」
の2本の短編作品が上映されました。

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「夫婦間戦争(Guerra Conjugal)」

 

 

 

 

 


 

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「ガヒンシャ(ガリンシャ)(Garrincha, Alegria do Povo)」

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の特集上映にちなんで来日されていた
ジョアキン・ペドロ監督の娘さん
マリア・ヂ・アンドラーヂさんに
お話しをうかがいました。






----『マクナイーマ』にも顕われている
“食人主義”について教えてください。


「1920年代末に
オズワウド・ヂ・アンドラーヂや
マリオ・ヂ・アンドラーヂが提唱しました」


「アントロポファジーア(食人主義)の
アントロポは人間を
ファジーアは食べることを意味します」


「言葉の由来は
ブラジルの先住民族の
儀式的な習慣に由来しています」


「彼らは
戦争などがあったとき
闘って倒した相手の肉体を食べることで
相手の持つ力を自分の中に取り込む
という考えにもとづいて
食人を行ったといわれています」


「ですから
“食人主義”が引用した食人は
日常的な食人の習慣ではありません」


「ブラジルは
かつてヨーロッパの植民地だったこともあり
文化的もヨーロッパを追従していました」


「しかし
ヨーロッパの文化を喰らい
自分たちの中に取り込んで
その上で
コピーではない
まったく新しい文化、自分たちの文化を
生み出していこうという考え方です」





----ブラジルが
多様な人種が混交している国であることも
この考え方のベースにあるのでしょうか?


「あります。
『マクナイーマ』の原作者である
マリオ・ヂ・アンドラーヂも
彼自身がムラート(白人と黒人との混血)です」


「マリオ・ヂ・アンドラーヂはとても勉強家で
フランス革命の思想に影響を受けています」





----人種の混交については
ジウベルト(ジルベルト)・フレイリも
語っていますが
オズワウド・ヂ・アンドラーヂや
マリオ・ヂ・アンドラーヂの考えとの違いは?


「ジウベルト・フレイリは
ロマン主義で、
オズワウドやマリオは
近代主義です」


「18世紀から19世紀の
ホマンチズモの文学では
インヂオニズモと呼ばれる形が主流で
先住民族を
美しいヒーローや戦士として描きました」


「ここでは
自分たちのルーツを
ファンタジーや
愛情表現の中で表わしています。
人種の混交をロマンチックに捉えています」


「そのため
ジウベルト・フレイリは
ブラジルの人種差別は希薄だと語っていますが
現実は
そんなふうに簡単に言えるものではありません」



「しかし近代主義では
それに対して批判的な見方をしました」


「文化人類学的に
より複雑に
より現実的に捉えています」


「マリオ・ヂ・アンドラーヂは
先住民族をヒーローとしては描かず
むしろ個性を与えていません」


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「『マクナイーマ』の主人公
マクナイーマも
ヒーローとしては描かれていません」

 

 







----ジョアキン・ペドロ監督は
軍事政権によって
逮捕されたことがありますか?。



「2回逮捕されています。
一度は、
政治家が会議をしていた
ヒオ・ヂ・ジャネイロにあるホテルの前で
グラウベル・ホーシャ、
ダヴィド・ネヴィス、
マリオ・カルネイロといった
映画作家の仲間たちと共に
抗議を行って逮捕されました」


「このときは
仲間に外交官の息子がいたので
釈放されました」


「2回目は警察が家にきて
ジョアキン・ペドロは逮捕されました」


「このときは
外国の人たちも釈放の運動をしてくれて
彼は助かりました」


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ジョアキン・ペドロ・ヂ・アンドラーヂ監督



 

 

 

 

 

 

----シネマ・ノーヴォ運動の中でも
グラウベル・ホーシャ(ホッシャ/ローシャ)も
海外での生活を余儀なくされましたし
カルロス・ヂエギス監督もパリへ亡命しました。

当時、多くの表現者、芸術家が
海外へ亡命しましたが
ジョアキン・ペドロ監督は
危険な目に何度も会いながらも国内にとどまりました。
それはなぜですか?


「海外に亡命する機会があったにもかかわらず
彼は、頑なに国内に残る道を選びました」


「それは彼が
ブラジルのことにしか興味がなかったからです」


「彼はブラジルのことしか語りません。
ブラジルの文化に関係のないものは
撮ろうとしませんでした」


「だから彼はブラジルにとどまって
困難と闘いながら
活動を続けたのです」






マリアさんもインタヴューで
ジョアキン・ペドロ監督は「ブラジルにしか興味がなかった」
と語っていましたが
実際、ジョアキン・ペドロ監督は
ブラジルの文化や歴史上の
重要な人物を題材としてよく取り上げています。


“ミナスの陰謀”を独自の視点で問う「オス・インコンフィデンチス(謀反者)」(72)、
ミナスの彫刻家アレイジャジーニョこと
アントニオ・フランシスコ・リズボアを描いた「オ・アレイジャジーニョ」(78)、
トロピカーリアにも多大な影響を与えた
食人主義の概念を「食人白書」(1928)で唱えた
モダニスト作家オズワウド・ヂ・アンドラーヂを描いた
「オ・オーメン・ド・パウ・ブラズィウ」(81)
などなど...。


これらの映画もデジタル修復されているので、
ぜひ、
機会を改めて
日本で特集上映が行われることを願います!


麻生雅人(あそう まさと)

ブラジルに心を奪われたモノ書き。雑文から音楽評論まで。雑誌は「R25」などに執筆。書籍編集、番組構成、CD監修なども。「ブラジル大作戦」(MUSIC AIR)、「Radio Brisa Brasileira」(STARdigio)が放送中。書籍では「サンバ」、「ブラジリアン・ミュージック」(共にシンコー・ミュージック)など。個人blogでもほぼ毎日ブラジル関連情報紹介中(http://brisabrasileira.pokebras.jp/)。写真はアサイーの故郷トメアスーのCAMTAにて。


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