TOKYOブラジル散歩

MOTの講座<「生きることの喜び」 ブラジルの“LIFE”をみつめて>。11月22日(土)に第一回「ブラジル・アートの遊戯人たち」が開催されました。

「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」展の関連企画としてMOTで開催されている講座
『「生きることの喜び」 ブラジルの“LIFE”をみつめて』。


titolo.jpg
第一回はブラジルを考察する本を何冊も書かれている
文化人類学者の今福龍太による
「ブラジル・アートの遊戯人たち」という講演でした。

 

 

 

 


 

今回の講演は
出版されたばかりの
「ブラジルのホモ・ルーデンス サッカー批評原論」(月曜社)とも
リンクしています。

 

この本のタイトルにもある
ホモ・サピエンス(知る人、理解する人)ならぬ
ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)とは
オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガが提唱した
概念なのだそうです。


あらゆる動物の中において
「遊ぶ」という行為を
あらゆる文化に先駆けて作り出したのが人間であり、
それこそが人間の特徴である、
という考えがベースになっているのだそうです。

 


レクチャーは
アウグスト・ヂ・カンポスの具体詩のお話から始まりました。


アウグスト・ヂ・カンポスは
兄であるアロウド・ヂ・カンポス、デシオ・ピナタリらと共に
1950年代頃から始まった
具体詩(ポエジーア・コンクレタ/コンクリート・ポエム)の
中心的な存在だった詩人です。

 

「具体詩は
今回の美術館の展示のテーマである
トロピカリアとある意味連動して動いていった
非常に重要なブラジルの文学運動でした」


「極めて絵画的な志向性を持っていました。
具体詩は
ヴィジュアルな、具体的な、
文字、ないしデザインである
というところから始まっています」


「我々は言葉とは
概念であるとか意味として捉えていますが
具体詩の運動では
言葉は
概念であるまえにモノである、
具体物であると捉えました」


「言葉が具体物であるということには
音である
そして形であるという
ふたつの意味があります」


「具体詩の運動は
文字的な視覚性に
非常に関心を示しました」

 

今福氏.jpg
今福龍太氏

 

 

 

 

 

 


 

スライドでは
アロウド・ヂ・カンポスや
60年代以降に活躍した
パウロ・レミンスキによる
視覚的な作品が紹介されました。

 


「具体詩には
ほとんど現代美術と変わらないような
ヴィジュアルのコラージュ作品があります」


「ブラジルにおける芸術のジャンルが
いかに垣根が低いものだったか
ということが
こういった例からもわかると思います」


「写真、絵画、文学、詩、音楽...
そういった芸術が
必ずしもジャンルとして完結しているとは限らない。
一人のアーティストが
ありとあらゆるジャンルに
またがって活躍している人が多い」


「我々がそういう芸術家を
多才な人、越境的な人と呼ぶのは
ジャンルを固定的に見ている側からの発送であって
そもそも芸術家にとっては
ジャンルという抑圧がないわけですから
自由に活動している、といえます」

 

パウロ・レミンスキは
芭蕉の研究家としても知られ、
ブラジルで芭蕉に関する本も出版しているそうです。


「レミンスキは
自分の作品集に
“ハイ・トロピカイ”と記しています」


「これは俳界という言葉と
トロピカウ(トロピカル)の複数形
トロピカイスを掛け合わせたものですが
単純に“熱帯の俳界”ということではなく
トロピカリアとの関連性を表していると思います」

 

レミンスキは
MPBのアーティストたちにも
多大な影響を与えていることでも知られています。


outras palavras.jpg
81年のカエターノ・ヴェローゾのアルバム
『オウトラス・パラーヴラス』でも
「ヴェルドゥーラ」という曲で詩を手がけています。

 

 

 

 


 

 

 

 

そしてブラジルには
“フッチボウ・アルチ”という言葉があるように
サッカーも単なるスポーツではなくアートであること、
写真家のセバスチャン・サウガド(サルガド)、
モニカ・ナドールなどの活動が紹介されました。

 

モニカ・ナドールは
今年7月~9月に豊田市美術館で開催された
ブラジルの現代美術展
「Blooming  ブラジル - 日本 きみのいるところ」
でも紹介されていました。

 

 

「元々、彼女はアラベスク的な
紋様をデザインしていました」


「彼女は20年くらい前から
美術館で額に収まっているような作品は
果たして本当に
アートとしての意義を持っているのだろうか?
と言いはじめました」


「美術館に入って絵を鑑賞するという人は
ブラジルの人口の中で
ほんの数パーセントにしか過ぎません」


「残りの人々は
美術、芸術などから
まったく疎外されています」


「だから彼女は
大勢の普通の人々と
コミュニケーションをとらない表現に
意味はあるのだろうか?
と考えるわけですが
これは、
ブラジルのアーティストに共通してある考えです」

 


001.jpg
モニカ・ナドールの作品

 

 

 

 


 

 

 

やがてモニカは
人々の家屋や建物を装飾するという
表現活動を始めました。


「ブラジル、メキシコ、ヴェネズエラなどの
郊外やスラムなど
社会的に打ち捨てられた区域に出かけていって
居住空間の壁を
住民たちと一緒に
彼らと相談しながら塗っていくというプロジェクトです」

 

『ネオ・トロピカリア』展でも
ルイ・オオタケによる
近い考え方のプロジェクトが紹介されています。

 

「エリカの場合は
まず、彼らと話すことで
彼らの内面に隠されていた
デザイン的な記憶とか
好み、創造力を引き出して行きます」

 

「そして
住民たちの中から出て来た絵を
彼らと一緒に壁を塗っていく。
それまで美術に無縁だった人たちと
アートを共有していく、というプロジェクトです」

 

「民衆と一緒になって
文明の病から立ち直っていく、
というような実験行為だといえます」

 


そして、街中に見られるグラフィティの話題へ。

 

002.jpg
現実の都市空間と
壁画がリンクしているような表現
溶け込んでいる表現も
ブラジルには数多くあります。


 

 

 

 

 

壁にグラフィティを描いたあと、
描いて終わりではなく
その前を通った通行人を含めて写真を撮って
偶然性を加えて
作品として完成させる、
という表現をしているアーティストも紹介されました。

 

ところで
このお話を聞いて思い出したのが
またしても、カエターノ・ヴェローゾ。

 

トロピカーリアの運動が全盛期だった67年頃に
「マンシェッチ」誌に掲載されたという
カエターノのグラビア写真も
ミュージカルを描いたグラフィティの前で
絵に合わせてカエターノが踊っているというものでした。

 

caetano.jpg
この写真は
「トロピカリア」(カルロス・カラード著/プチグラパブリッシング刊)
に掲載されています。
この本はMOTのショップでも売っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし
このグラビアは
グラフィティに合わせて
カエターノが行動しているので
偶然性を利用はしていますが
あくまで意図的に作られたもの。


講座の中で紹介された表現では
写真に写っている人は
グラフィティのことなど意識せず
たまたま壁画の前に立ったり
通りがかったために写真に写り
結果的に作品の一部になってしまうという
現象が起きていることに面白さがあります。

 

「芸術の意図とか
恣意的な目的が
どこかに消えていくような瞬間がここにはあります」

 

 


講演では
日常の生活の中にある
遊び~ジョーゴの感覚に溢れた
ブラジルのアートの数々を
作家の背景と共に紹介されました。


お話の中にあった
一人のアーティストが
ありとあらゆるジャンルに
またがって活躍しているという話は
音楽の世界にもあてはまるなあ、と思いました。


クラシック畑で活躍しているピアニストや
MPBのシンガー・ソングライターが
ブラジル版の歌謡曲やカントリー・ミュージックのシンガーと共演するといった
ジャンルの垣根のなさ、等価感もまた
ブラジル音楽の面白さでもありますし
音楽家による
アートやファッションと連動した表現も広く見られます。


ブラジルの創造性を考える上で
多くの示唆を与えてくださる
貴重なお話でした。

 

 

 

そんなブラジルのアートに生で触れられる
「ネオ・トロピカリア ブラジルの創造力」は
東京都現代美術館にて09年1月12日(月・祝)まで開催中。
http://www.mot-art-museum.jp/kikaku/

 

 


 

麻生雅人(あそう まさと)

ブラジルに心を奪われたモノ書き。雑文から音楽評論まで。雑誌は「R25」などに執筆。書籍編集、番組構成、CD監修なども。「ブラジル大作戦」(MUSIC AIR)、「Radio Brisa Brasileira」(STARdigio)が放送中。書籍では「サンバ」、「ブラジリアン・ミュージック」(共にシンコー・ミュージック)など。個人blogでもほぼ毎日ブラジル関連情報紹介中(http://brisabrasileira.pokebras.jp/)。写真はアサイーの故郷トメアスーのCAMTAにて。


戻る過去の記事一覧へ